「……まぁ、またいらしたのね。」


---その湖には精霊様が住んでいる。---

---人の心を弄ぶ悪戯好きな奴だ。---

---だから決して、宵に一人で行ってはいけないよ。---


じっちゃが、いつもそう言っていた。オレはその話をじっちゃから聞く度に、「ははん、じっちゃはきっと昔酷い目にあったことを隠しているな」と思った。だって、じっちゃはこう言う噺をする時は絶対に最後オレを驚かせようとするのだから。ここからわかることは更に、「精霊様は本当にいる」ということだ。一体どんなイタズラをされたか知らないが、オレはそんなドジは踏まない。


「ーーーまた、だなんて酷い言い方だよツル。」

「うふふ、ごめんなさい、つい。」


そう言って美しい水色の髪を肩、腰、遂には水面につくほどに伸ばした「精霊様」こと鶴は、その名に相応しい容姿で水面に立っていた。ツルが水面にいる間、湖中が淡く輝く。それは何と形容出来ぬほどに美しかった。


「それで、今日はどんなお話をしてくれるのかしら?」

「そうだなぁ、じゃあ今日は…」


あれから数年。気が付けばオレは大人になっていた。鶴に話してやる噺は、どれもかつてオレがじっちゃに聞いたお伽噺や体験談だった。そのじっちゃはこの前の冬この世を去った。齢90だったそうだ。皆60を迎えずに死ぬというのに、精霊様の加護でもあったか。そう鶴に問えば、「私は神様ではないから」と否定した。


オレの話を、どれも真剣に聞き、時には笑い、驚き、悲しむ。共通してどれもそれは美しかった。


気が付くとオレは、恋をしていたのだ。


「ねぇ、貴方。好きな人はいないのですか?」

「…なんだい急に。」


その問いにオレは心の臓を跳ねさせた。自覚してしまった意識は、言わなければ伝わらない。伝えてしまおうという欲求が喉元までせり上がっていたが、懸命に吐息へと置換した。


「だって貴方。毎夜毎夜此処を訪れるでしょう?勘繰ってしまって…」

「オレは、自分の意志で此処に来てる。鶴に会いにね。君だって独りは寂しいと言っていたろう?オレは、優しいのさ。」

つらつらと言葉が出てくる。いつものような軽口のつもりだったが、鶴はその時悲しい顔をしていた。調子が狂う。そしていつしか、二人は沈黙し、俯いた。湖の水面が、緩く揺れた。


「…そう。やっぱり貴方もそうなのですね。」

「…なんのことだい?」

「…きっともう、貴方はだんだん私が見えなくなっていくでしょう。声も聞こえなくなるでしょう。」

「……意味が、わからないよ。」

オレが言うと、とうとう鶴は泣いた。それを理解することなど、出来る筈もないのだ。

「そういうものなのです。私は神様ではないけれど、同時に人でもありませんから。」

「…オレのことが、嫌になったのか?もう飽きちまったのか?」

片足が水面に触れるほど、鶴に詰め寄った。変わらずに輝く水は一度激しく揺れ、伝播し、やがて落ち着くのだ。

「そんなわけ…!!でも、いままで此処に来てくれていた人も皆、そうだった…そして忘れていく。いつか過ごした夜のことを。何年も何十年も何百年も…!!」

湖に浮かぶ精霊は愚かにも孤独を恐れていたのだ。孤独を恐れ、輝く水面よりも美しい涙を流すのだった。

「……ならオレ、聞こえなくなっても見えなくなっても、死ぬまで此処に来るよ。どんなときも傍にいるよ。だってそうだ、オレは…オレは…っ!!」

近いように見えて、よりそっているようにみえて、あぁ、どうしてオレ達は独りだ。ならば、分かち合えばいいのだ。其れを愛と言うのなら、例え安っぽくても構わない。


「鶴、オレは。お前を…愛しているよ。」



絞り出した声は湖の静寂に呑み込まれた。眩しく輝いていた結晶は宵闇に喰われたのだ。だが、それでも構わない。いつだって、そこにいるのだ。なら、それでいい。
それでいいんだ。




ーーー「ぶぇ~いい話だぁ~おいちゃん~」

「だろ?お前もいつか自由に遊びに出てもいい歳になったら、こっそりあの湖にいくといい。」

オレの前で大袈裟に泣く少年は、よくこうしてオレの話を聞きにやって来る。数年前の土砂崩れで足を悪くしてからはもうあの場所に行っていないのだ。きっとまた寂しさに暮れ泣いているに違いない。

「そうだ、おい、忘れるなよ?オレは足を患ったが、ここでいつも月夜毎に、お前を想って吟っているとな。」

「うぇ~おいちゃんくっせぇ~」

「ふっ、うっせー。餓鬼には解らんよ。」




夢見夜月二君想フ。