ごり押しでナイト

自称音楽家(SETUZITU)ワタクシ清野の活動情報や雑談,その他諸々晒していくぞのコーナー♪♪♪
皆様,何卒よろしくお願いいたしもぉす!!!
雨降の楯という創作グループ立ち上げました。 僕のお話「Synchronized」がオーディオドラマとなりました! こちらから是非ご覧下さい→http://ametate.cranky.jp

カテゴリ: 小話

文字通りの喧騒。言葉通りの雑多な音。

そう、酷く雑多だ。馬鹿みたいに大声を上げ、自らの足で立つことも出来ず、擁護されるのが当たり前だと思っているおめでたい奴らが、間もなく最終電車の出る駅のホームに蔓延っている。俺もこんな醜く愚かに溢れかえるゴミ共と等しく人間であるということに嫌悪を覚えた。蛍光灯がきれかかっているその下で言葉は飲み下し思考する。何故、こんなにも俺は違うんだろう。等しくあるべきなのだろうか。間違っているのだろうか。あんな雑多どもが、正しいと言うのか。全くもって肯定出来ない。駅のホームに電車が飛び込んできた。黄色の点字ブロックの上に乗る勇気は俺にはない。勇気というのは偽善だ。結局それは力でも強さでもなく我が儘。欲求なのだ。こうありたい、こうあるんだ。それを具現しただけのこと。善の言葉にすげ替えて、まるでヒーロー気取りの子どものようだ。そう子どもと言えば、この電車が最終なのだが、行動を共にする彼女は未だトイレから戻らない。置いて帰るのも全然ありだが、それよりも罪悪感が勝ってしまい、俺は点字ブロックの少し手前から足を動かせずにいた。


「ごめん……こうた……おぇ、めっちゃリバってた…」


最終電車が過ぎ去った5分後、ノロノロとフラフラと俺の前にやって来たのが雑多な彼女優希だ。顔面蒼白な彼女はただのレストランでこれでもかとワインを体内に吸収した為、この様な愚かな姿を大衆に晒している。

「知ってるよ。…タクシーで帰ろう。車内で吐かれたら困るんだけど、もう全部出しきったかい?」

ガコン。漸く動いた足で自販機の水を買い手渡す。…蓋を開けることも出来ないのか。一度優希の手から水を奪い、口を開ける。ありがとうと一言呟いて水を勢いよく飲みはじめた。動く喉元が妙に艶かしい。そっと視線を外す。いつも快活な人間が弱っている姿はなんとも滑稽だ。

「っぷぁ、水ってこんな美味しかったっけ…?」

「美味しいよ、水は。いつも。」


少し回復したようだ。今のうちに改札を出てタクシーを拾おう。なんだ、これではまるで俺まで雑多ではないか。

「こうた。手。」

そう言って俺の手を掴む。心臓が一際大きく跳ねた。他人に触れられると起こる、条件反射みたいなものだ。体に悪い。そして俺の手を更に両腕で抱き抱え、寄り添う。寄り添うのも寄り添われるのもあんまり得意ではない。俺は一人で立って歩けるから。

「何?照れてるの?」

「そんなんじゃないよ。…優希は図々しいなと思ってね。」

誰かに支えられて、擁護されるのが当たり前だと思っているおめでたい奴ら。彼女もその一人。雑多なうちの一人。

「あーあー、今そういう小難しい話は受け付けませーん」

「別に難しいことではないさ。俺が今から使用とする話を、優希自身が難しいものと思い込むからそうかんじるだけで……っ!?」

一瞬何をされたかわからなかった。生暖かい柔らかいものが耳に触れたのだ。舐められた。遅れて理解する。その話はもういい、そういうことらしい。この程度の話にも耳を傾けられない彼女はやはり愚かだ。そう言えば体が熱い。寄り添われているからか。

「ふふ~、こうたは可愛いなぁ」

「…理解出来ないよ、君のことを俺は。」

タクシー乗り場には人が列を作っていた。ほんの一時の快楽に負けて、電車賃の何十倍を払って帰宅するこの行動は、やはり間違っている。それでも隣で勝手に俺に寄り添う彼女を置いていけなかった俺もまた、正しさの中にいないのか。

「奇遇だね、私もこうたを理解出来ないよ。」

漸く最前列になった。ロータリーをタクシーがまわっている。ヘッドライトを揺らしながら。未来をもし照らせるのなら、こんな間違いはもうしなくて済むのだろうか。俺はやはり、正しさを求めてしまうから。

「だからこうたのこと、好きになったんだ。」

タクシーに乗り込む手前、そう呟いた彼女の言葉を聞こえないふりをしてやり過ごす。俺の家の住所を告げ、そしてタクシーの扉がしまった。

動き出してすぐ、優希は俺に寄り添って寝息をたてはじめた。俺は使えなくなった左手を諦め、右手で携帯を操作して時間を潰す。

きっとこのタクシーの運転手には、俺達、俺のことがこのタクシーに乗っていた他の乗客達となんら相違なく見えているのだろう。それはとても悔しいことだが、隣で眠る彼女を愛しているうちは、いつまでも俺は間違っているのだろう。


車内から流れる景色を見て、俺もそっと目を閉じた。










例えばあたし一人この星で生きていたとしたら、何てことを時々思う。
だって面倒くさくない?誰かと関わるのって。もしも誰もいなかったら、服を着たりおしゃれしたりもしないで、ただぶら~っと生きているだけでいいんだよ?
え?おしゃれが趣味ぃ?それって本当ぅ?
だって、その美的感覚とかって言うのは他者から与えられた外的要因をもとに基準が作られているよね?
犬や猫がかわいくて、どうしてゴリラやワニが可愛くないって言うのさ。あ、因みにあたしはワニ派ね。

とにもかくにも、見てもらえなくなったら楽しさ半減、違う?
…んー、まぁ違うってんならしょうがないよね。だって、あたしらは既に外的要因に毒されちゃってるわけだからねぇ。

くだらない?ふふ、そうでしょ?
あたしもたいくつでさぁ~、どうすればこの惰性で堕落した唾棄すべき妥協の連続を打開できるのか考え中。

…あ、ばれた?
せいかい。なーんもかんがえてませんよーぉだっ!


だって、必死になっちゃったら楽しいことも楽しくなくなっちゃうし。よく言うじゃない、ホントにプロになったらその仕事嫌いになっちゃってそのうち離れちゃう~ってやつ。まぁ贅沢な悩みに聞こえるけど、人間やっぱり一番は自分の時間でしょ。
かーのじょともかーれしともいちゃいちゃ出来ないんじゃあ、つらいよね。だから、きっとどんなものだって節度わきまえるべきなんだよ。人間それだけできるーって言ったって結局は総合力でしょ。顔がいいとか頭がいいとか、それだけで生きてる人も……まーいるか。

いるよね、たぶん。

あー怠惰だなぁ。
このままゆるーっと時が過ぎて、いつのまにかふわぁーって死んじゃいたい。
あたしはたぶんそれで満足だね。

……あ、そうだ。この前ついに買ってきたよー高級メロンパン!イヤー美味しかった。折角だから君にもあげようと思って持ってきたんだ。できたてじゃあないけどきっとおいしいよ。さ、食べて食べて!!

んーんー、やっぱ君はいい食べっぷりだ。
あたしご飯つくってあげたくなっちゃうなぁ。


ぱんぱんっ。
埃を払って立ち上がる。

はーい、お粗末様でした。
また今度ちがーうの買ってくるから、暇潰しの相手
、よろしくねー!!




「こんなところにいたか!おい恭子!早くもどれ、仕事は山積みだぞー!!」

彼が遠くの方へ去ったのと同時に、あたし以外の声が響いた。五月蝿い。そんなに叫ばなくてもちゃんと聞こえてるったら。

「忙しい時程休憩は大事だって言ってたじゃないすか主任。」

「相変わらず生意気な野郎だ!いいから来い!!」

「ちょちょちょっとちょっと~!?」

スーツの首根っこを摘ままれて引きずられる。まるで猫の様だ。あぁー猫になりたい~いやだ~しごとや~だ~。

「あたしゃやろうじゃなくてレディっすよー!!しかもそんなやらしいとこもってセクハラですかー!?」

「うるさい!!くちごたえと屁理屈の多い奴だったく…っ!!」


そう。そんなこと言いながらあたしは生きる為どうすべきかを理解している。

将来の夢?10年後のありたい姿?目標?
そんなものどーでもいい。いったいどれほどの価値になるって言うんですかー?って感じ。
今日を生きることで手一杯ですよ。ほんと。

そうだ。あたしにばっかり突っ掛かってくるあの上司をギャフンと言わせて、帰ったら美味しいプリンでも買って食べよう。
それが、あたしの幸せ。



今しか見えねぇよ!!
(キミのその悩みってさ、心が贅沢な証拠だよ)



(…たぶん。)






「ちょーっとストーーップ!!」

アタシはつい、大声を出していた。
今まさに覆い被さろうとしていた女の子をはねのけて、距離を置く。自然と戦闘体勢だ。

「なーによ鈴。何で逃げんのよ?」

悪びれた様子もない茜は、手に持った染髪用具をふるふる振った。

「いや、ごめんつい……」

「これ、直ぐやんないと上手くいかないんだから、モタモタしない。」

「なんか悪いことしてる気がしてさー…たはは……」

「みんなやってることでしょ?16歳にもなってなにビビってんのさ」

そういう茜の髪は、明るすぎるブラウンに染まっていた。
なんか柴犬を思い出す。
茜とは中学からの付き合いだが、彼女は俗に言う高校デビューを果たし、眼鏡はコンタクト綺麗な黒の長髪は犬っころカラー、もちもちほっぺはまっピンクのチョークで塗りまくられてた。
同じクラスのアタシ達は、当然の様につるんだ。
見た目は変わっても、彼女は彼女だから。

そして今は夏休み三日目。明日は海へ繰り出すんだそうだ。

「そ、そうはいっても……い、いきなり金は流石に……」

私は、どちらと言わなくても地味な女だ。鼻だって低くて潰れてるし、ほっぺたにはそばかすもある。最近の悩みは専ら、おでこのニキビだ。
そんな私が、化粧?染髪?高校デビュー?
無理無理無理。
大体若いうちからそういうことしてたらお肌に
ダメージダメージ!!
もしも、地味じゃなかったらー


……っは!!
いかんいかん、現実逃避してしまった。

「ね、ねぇ茜…?やっぱりなし…じゃダメ…?」

「うぇー?何々本当に?…まー、私は別にいいけど、それだとあんた多分海いけないよ?あーやが企画だから絶対男いるし。」

なんだそれ。初耳だ。
因みにあーやとは、うちのクラス……というか学年で一番クレイジーなギャルだ。正直近づきたくない人間ランキングだと堂々の一位。二位とは圧倒的差がある。3馬身くらい?
よーわからんけど。
さらによーわからんのは、何故かうちの茜とメチャクチャ仲がいい。
うちのとか言っちゃって。
つってつって。

「うん……じゃあ、いいかな……」

「は?」

「別に、今の私そのままで受け入れてくれない場所に、わざわざいきたくはない、かな。」

「おいおい私一人にするきかよーすずー!!」

「……あ、なら。茜も行かなきゃいいんじゃない?」

「はぁあ!?」

「二人でどっか買い物でも行こーよ。そっちの方が気が楽でしょ?」

「はぁ……あんたには勝てないよ私は。」

「にひひー」

そういうと、茜はおもむろにデコられたケータイを取りだしコールする。数回コールののち、電話口から声がした。

「あ、もしもしあーや?わりぃ、私ちょっとインフルくらっちゃったくさいからあしたいけねーや。うん、あともう一人連れてくっつったべ?そいつもNGで。ほんとわりぃ。治ったらめしおごっからさ。あーい、あい。んじゃ。」

ものの数秒だった。
茜は昔から決断の早いやつだったが。お見事。

「な、なんかごめん…」

「気にすんなって。正直私も乗り気じゃなかったし。夏男はちょっとパス。で、私風邪引いてるていだからこれからわたしん家行ってオールでももてつしよーももてつ!!久々に!!」

「おわーなつかし!!やろーやろー!!」

「よっしゃ!じゃ移動ね。……あ、すず、髪にちょこっとだけ染色液付いてるよ」

「へ?わーわー!!とってとってー!!」

肩先のちょこっとだけ、金色になってしまった。
でも、これくらいが私にはちょうどいい。


因みにだが、ももてつはドラマチック且つワンダフルな展開で大変エキサイトしたが、それはまた別で語るまでもないと思う。


おわり。





どうしたって取り返しのつかないことはある。
人生とは、それの連続だ。
重要なのは、どうやってそれらと決別するか、心に折り合いをつけるかである。


「……少し、外を歩いてくるよ」

「……そう。」

10年近い交際の後婚約した彼女は、今日この日の外出だけは、あまりいい顔をしない。

婚約。
まぁ、間違ってはいない。
彼女はいい女だ。恐らく、僕もそんな彼女を愛してる。
その筈だ。
充分じゃないか。こんな僕でも、人並みの幸福を手に入れたのだ。


僕は、なんてことを。
…一体何様のつもりなのだろう。
神様にでもなったつもりか。

いつからこうなってしまったのか、なんて過去を美化するのはもうやめよう。
最初からこういう男だ。僕は。
知った気になって妥協して、何かに耐えて失って。
積み重ねた未来の結果が、今の僕だ。
それ以上でもそれ以下でもない。

「……いいけど。ちゃんと帰ってきてよ?」

「当たり前だろ?ここは、僕の家さ。」

「はぁ。……まぁいいや。いってらっしゃい。」

「うん、いってきます。」


懐かしい匂いがする。
僕はこの匂いが好きだ。
貴方に会える気がするから。
…もういい。そういうのは、うんざりだ。
そしてあの場所へ向かう。
その道すがら、当時を思い返しながら。


ーーー。


「…………ーい。おーい!!」

「…何故、貴方が、ここに…」

懐かしい声が聞こえる。
喉元で飲み下せずにいた「それ」が今、僕を呼んで、此方へ走ってくるのだ。

「どーん!!」

「おわっ、ちょ、ちょっと!!」

走ってきたその人は減速することなく僕に突撃してきた。
久方ぶりのやりとりではあるが、身体は受け流し方を覚えていたようだ。

「いやー!!久々にこっちに来たらお祭りやってるじゃん?まさかいるわけないよなーって探すじゃん?そしたらホントにいるんだもん!!びっくりしたよー!」

「…お変わりないようで僕も嬉しいですよ。」

お互い、少し歳をとっていた。
けれど、貴方はあの日のまま、僕を受け入れてくれた。
こんなに、こんなにも、変わってしまった僕を。

「こんな偶然もうないかもしれないし、花火見てこっ。」

「どうやって、この状況から断れと言うんですか。付き合いますよ。」

「ありがと!やっぱりちょっとやそっとじゃ人間変わんないねぇ。こうやって、腕を捕まえちゃえば、君は絶対、私のわがままに付き合ってくれるんだ。」

「そうしないと騒いで駄々こねてしかたがありませんからね。」

「ふふ、やっと会えた!」

「んなっ、なに言ってるんですか。それじゃあまるで---」

---それじゃあまるで、ずっと僕を探してくれていたみたいだ。
あるはずがないのに。そんなこと。

打ち上がる花、花。
七色に輝くその眩しさに目を細めると、藍色の向こうに、いつかの色が、音が、声が、僕を飲み込んでいく。
飲み込まれていく。
けれど決して交わらず、溶け合わずに。

「ねぇ、覚えてる?一回だけ、一緒に花火見に来たこと。此処でいーっぱい、遊んだよね。」

「はしゃいでたのは貴方だけですよ。僕はその日一日中、腕を引っ張り回されていただけです。」

「あ、ちゃんと覚えてた?いやー、まぁ多少盛ったけどさ、でも楽しかったでしょ?」

「それは、まぁ。一応…」

「懐かしいね…」

「先輩…?」

いつかの日のように、その人は僕の隣で目を細め、そして、今まで一度も見たことのない、切ない表情を浮かべていた。

変わっていない、筈がない。
未だかつてないほどの大きな隔たりが、僕らの間にはあって、この人と過ごした日々も、僕の中にあるこの思いも、本当は風化しているのだ。そしてそれを、そのまま砂塵に変えてしまいたくはないから、自らが作り出した色付きの水滴で砂を固めているに過ぎない。

…なんて、なんて脆い。
僕は、そんなものを両腕に抱えて、風で崩れぬ様に大切に大切に守っていたのか。

「花火はいいよね。」

先輩が、口を開いた。

「一瞬でも、あんなに煌めいて。色んな人の心惹き付けて。私も、そんな風に生きていたかったな。」

「…貴方には、貴方にしかない魅力がありますよ。」

ここに、こんなに惹き付けられている人間だっている。
それは言えなかった。きっと、はにかみながらありがとう、と言うだけだから。そんな軽い気持ちでは、伝えられない。

「前にさ、花火が人生みたいだーって話したのは…」

「覚えていますよ。」

「お、さすがっ。あれって全然見当違いだよね。人間ってもっとどろどろぐにょぐにょのどぶ水の中で生きてるネズミくらいの方が近い気がする。」

「それは…ネズミに失礼ですよ。彼らは彼らなりに、自分が生き抜く為の場所を探したんですから。」

「いいこと言うねぇ。じゃ、君はどう思う?人間は、どんな風に生きてるかな?」

「そうですね…足の生えた花、でしょうか?」

「あはは、それ面白い。その心は?」

「自分が花であることを、まず花は認識できていない。背も小さくて、のろのろと弱々しい根っこで地を這いあてもなくさ迷うわけです。その道中、きっと様々なものがあるでしょう、美しい花、厳かな木々、優雅に舞う蝶。それらを見て花は思うんです。わたしもああなりたかったな、と。」

「…ありゃ、なんか怒ってる?」

「…いえ。まさか。」

「でもま、言いたいことはわかるよ。くだらないこと聞いて、ごめんね。」

そう言って弱く笑う彼女に、僕は言葉を返せず、見たくもない花火を見上げた。火薬と出店の食べ物の匂いと、それから仄かに、先輩の付けている香水の爽やかな匂いが混ざっていた。
記憶にある匂いと、それらは確かにかけ離れていて、僕はどうしようもなく、空を見つめた。その藍色だけは、いつかの色と変わることなくそこにある気がした。

「ねぇ。」

先輩が僕の隣から、少し前に歩いて僕と向かい合った。
振り返った彼女は、何かに堪えている様な苦しげな表情だった。


「どうしました?」


「私ーーー。」

先輩が口を開いた瞬間、一斉に打ち上がる花火。どうやら最後の打ち上げが始まった様だ。
彼女の影が、花火の灯りで強くなる。
彼女はその中でも何かを僕に伝えていた。
けれど声は聞こえず、全て言い終えた後、寂しそうに笑った。


「なんて!!言ったんですか!?」


直ぐに叫んだ。
何か、何かとても大切なことを言ったのではないか。そんな気がしたから。
彼女の肩に手を掛けようと一歩踏み出す。

「たーーーーまやーーーーーーー!!」

彼女は僕に背を向け、それからは今までのように、ふざけて笑うだけだった。



ーーー。



どうしたって取り返しのつかないことはある。
人生とは、それの連続だ。
重要なのは、どうやってそれらと決別するか、心に折り合いをつけるかである。



だが。



だが、心に折り合いをつけるのは難しい。
だから僕は今年もまた、ここに足を運び、誰と見るでもなく、夜空に浮かぶ美しい花を見上げ、彼女を思い出すのだろう。



今日も夜空に花が咲く。
貴方がここにいなくても。





「なぁ、今日も…遅いのか?」

選択する。
どうすれば、この少女を安心させてあげられるか考えて。

「出来るだけ、早く帰るようにするよ」

「…べ、べつに!そういう意味で言ったんじゃっ」

「はいはい、わかってるよ」

言葉を交わす。
言葉は僕の思考したものと少し異なる形で出力されたが、少女が喜んでいるならそれでいい。あとはいつも通り「作業」をするだけ。

生きてる意味を考えて。
ここにいる理由を考えて。



正午を僅かに過ぎた頃、彼女に連絡を入れる。

「週末は、何処か遊びに行こう」

「ちょうど予定がないから、いいよ」

「いきたいところ、考えておいて」

「了解。仕事手ぇ抜くなよ!」

「はいはい。」


ディスプレイを閉じる。
嘘みたいに空がきれいだ。
この現実も、嘘であればいいのに。

少し暖かくなった胸をおさえて。
届かなくなったものに思いを馳せて。



結局帰宅は23時を少し回った。
ディスプレイを点ける。

「遅かった」

「ごめん」

「並みの女ならもう寝てたね。」

選択する。

「いつもありがとう」

「…ふんっ」

頬を火照らす少女が愛しい。
触れることが出来ずとも。
この腕で、抱き締めることが出来ずとも。

「おやすみ」

「おやすみ」

明日も明後日も、ずっと続いていく。
時計の秒針は止まらずとも、時間の止まった世界で君は今日も生きている。


僕は---。





どうしたって取り返しのつかないことはある。
人生とは、それの連続だ。
大事なのは、どうやってそれらと決別するか、心に折り合いをつけるかである。


「……少し、外を歩いてくるよ」


なし崩し的に婚約した彼女は、今日この日の外出だけは、あまりいい顔をしない。

婚約。
まぁ、間違っていない。
彼女はいい女だ。恐らく、僕もそんな彼女を愛してる。
その筈だ。
充分じゃないか。こんな僕でも、人並みの幸福を手に入れたのだ。
一体何様のつもりなのだろう。
神様にでもなったつもりなのか。


いつからこうなってしまった…なんて、
過去を美化するのはもうやめよう。
最初からこういう男だ。僕は。
知った気になって妥協して、何かに耐えて失って。
積み重ねた未来の結果が、今の僕だ。
それ以上でもそれ以下でもない。

「……いいけど。ちゃんと帰ってきてよ?」

「当たり前だろ?ここは、僕の家さ。」

「はぁ。……まぁいいや。いってらっしゃい。」

「うん、いってきます。」


懐かしい匂いがする。
僕はこの匂いが好きだ。
貴方に会える気がするから。
…もういい。そういうのは、うんざりだ。
そしてあの場所へ向かう。
その道すがら、当時を思い返しながら。


ーーー。


「…………ーい。おーい!!」

「…何故、貴方が、ここに…」

懐かしい声が聞こえる。
いつかの想いを飲み下せずにいた、その元凶が、今、僕を呼んで、此方へ走ってくるのだ。

「どーん!!」

「おわっ、ちょ、ちょっと!!」

走ってきたその人は減速することなく僕に突撃してきた。
久方ぶりのやりとりではあるが、身体は受け流し方を覚えていたようだ。

「いやー!!久々にこっちに来たらお祭りやってるじゃん?まさかいるわけないよなーって探すじゃん?そしたらホントにいるんだもん!!びっくりしたよー!」

「…お変わりないようで僕も嬉しいですよ。」

お互い、少し歳をとった。
けれど、貴方はあの日のまま、僕を受け入れてくれていた。
こんなに、こんなにも、変わったしまった僕を。

「こんな偶然もうないかもしれないし、花火見てこっ。」

「どうやって、この状況から断れと言うんですか。付き合いますよ。」

「ありがと!やっぱりちょっとやそっとじゃ人間変わんないねぇ。こうやって、腕を捕まえちゃえば、君は絶対、私のわがままに付き合ってくれるんだ。」

「……先、輩?」

「やっと会えたね!」

「んなっ、なに言ってるんですか。それじゃあまるで---」

---それじゃあまるで、ずっと僕を探してくれていたみたいだ。
あるはずがないのに。そんなこと。

打ち上がる花、花。
七色に輝くその眩しさに目を細めると、藍色の向こうに、いつかの色が、音が、声が、僕を飲み込んでいく。
飲み込まれていく。
けれど決して交わらず、溶け合わずに。

「ねぇ、貴方は覚えてる?此処でいーっぱい、」




 

「ねぇ、おじいさん。おじいさんはいつもここで何を書いているの?」

「ん?これかい?これはねぇ、おじいさんがずっとずぅーっと昔に見た、夢の景色だよ。」

老人は答えた。斜陽が二人を朱色に染める。少女は瞼を瞬いて、続けて老人にこう言った。

「おじいさん、すごいねぇ、そんな昔に見た夢をまだ覚えているなんて。私なんて、今朝見た夢も忘れてしまったわ。」

「はっはっは。それは残念だったね。でも、おじいさんも実はこれが、本当にその時見た夢と同じものかどうか、わからないんだ。」

老人はとても愉快そうに笑った。
少女は不思議そうに首を傾げる。

「それって、覚えてるのかなぁ?」

「覚えているとも。目を閉じたら、其処にいるんだから」

「へぇ…?」

老人は筆を止め、穏やかな表情で目を閉じる。
少女も老人を真似てみたが、瞼の裏が夕焼けで赤く灼けるだけだった。

「…あ、ねぇおじいさん。この真ん中の人はどうしてのっぺらぼうなの?」

少女は老人の描く絵を指差した。
草原だった。
この世界のどこにあるかも知れない、或いは何処にもないのかも知れない。美しい草原。
その草原の中央には雄々しく聳える巨木が、地平線の向こうまで広がる草原に不釣り合いに写っていた。
葉を傘の様に広げたその影の下に女性が立っていた。
白いロングスカートに映える艶やかに描かれた黒髪が、その世界で何よりも自由に靡いていた。

「あとは、そこだけなんだ。」

「そうなんだ。楽しみだね!」

「もう何年もずっと…どうしてもね、そこだけが描けないんだ。」

「えぇ!?何年も!?」

「そう。何年も。不思議だろう?こんなにはっきり覚えているのに、目を閉じたら其処にいるのに、描けないんだ。絵を描くには、目を開けなければいけないからね。」

老人はそう言って深いため息を吐いた。
少女はそんな老人を見て瞳を輝かせて言った。

「おじいさん、その人の事が大好きなんだね!」

「…あぁ。そうだね。大好きだよ。」

「ねぇ、聞かせて!おじいさんは夢の中で、その人とどんな話をするの?」

少女は老人の膝に手をついて、笑う。
老人も少女を見て、まるで子供の頃を懐かしむ様に微笑んだ。
少女の頭を撫でながら、老人はゆっくりと口を開く。

「そうだねぇ。それじゃあ特別に、教えてあげよう。」




目が覚めたその瞬間、私は、その空間が夢であると自覚した。
目の前に広がる光景の、そのあまりの美しさに恍惚したからだ。

ユニコーンの毛艶の様に靡く草原。
綿菓子の様な白雲。
パレットの上に広げた様な水色。
視覚で捉える事が出来る程穏やかにそよぐ風。
どこまでも見渡せるその風景に、私の足は自然と前へと向かっていた。

空を泳ぐ様に歩は進む。
ただ、これほど美しい世界だというのに、他に動く生き物はいなかった。
夢なのだ、望めば手に入るかと思えば、どうやらそうでもないらしい。

少し寂しい。そう思うと遠くの方に大樹が見えた。
先程まであっただろうか。
何を思うでもなく、その大樹を目指して歩く。

近付けば近付く程にその大樹の大きさに圧倒される。
凛々しいその姿に威圧され、歩幅が縮まる。
そしていつの間にか、私は歩くのを止め、その厳かな佇まいに感嘆していた。

上ばかり見ていたから気が付かなかったが、幹の傍に、女性が立っていた。
白いロングスカートに映える艶やかに描かれた黒髪が、その世界で何よりも自由に靡いていた。

「こんにちは」

「え…あ、あぁ。…こんにち……は?」

「ふふ、そうよね。君は今眠っているのだものね。」

くつくつと静かに笑う彼女は、目を細めて私のもとへ歩を進める。手を後ろで組んでゆっくり。ゆっくり。
この、植物以外の生物を感じられない夢の世界で出会った彼女。
夢はよく、人の欲求を形にすると言う。
ならば具現したこの女性は、この美しい女性は、果たして私の何となり得るのだろうか。
金銭欲?
食欲?
顕示欲?
性欲?
睡眠欲?
物欲?
独占欲?
……自分の中のありとあらゆる欲を探っても、答えは得られなかった。

「ねぇ、どうしてそんな難しい顔をしているの?」

「…あぁ、悪いね。ちょっと考え事を。」

「あら、夢の中でまで考え事だなんて、君はやっぱり随分と堅物だねぇ。ふふ」

「……そうかもしれないな。それで、そんな堅物の僕の夢の中で、一体何をしていたのかな?」

私はおどけてそう問うた。
すると彼女はさっと私との距離を詰め、人差し指の先を天に向け、自身の唇へとあてる。
私は思わず息をのみ一歩後ずさった。

静寂が辺りを包む。
すると、今まで聞こえなかったざーっ、ざーっ。と耳を優しく包む音。
私がそれに気付いたのを彼女は察すると、天を指す指を唇から離し、その先は緩慢な動作で大樹を貫いた。

「この音を、聞いていたの。ずっと。」

私はそれに答えなかった。
答えられなかった。
その静寂を破ってしまうことが、まるで禁忌であるかのように感じたからだ。

「ふふ、ね。気持ちいいでしょ?小波みたいで。」

首肯する。風を浴びてしなる四肢が縦横無尽に揺れて、その身に付いた青々しい葉が音を奏でているのだ。まるでオーケストラの様に。

「君は、素敵な夢を持っているね。こんな優しい夢、中々ないよ。」

「…君は、ここにずっといたのではないのかい?」

「ううん。」

「…では、何処にいたんだい?」

「ふふふ、なぁーに、ずっと君の傍にいたよ、って言って欲しいの?なら残念。私はここに始めてきたし、明日にはもうここにいないよ。」

「そうか。…なら、君は一体…?」

この世界に多くのものはない。
だが、だからこそ美しいのではないか。
そんなことをぼんやり考えた。
彼女は、どうしようもなく、この世界では異質だった。
彼女は、不自然なまでに、生きているのだ。
彼女は、その穏やかな微笑みを崩す事なく、答えてくれた。

「私は、夢を旅してる。誰かの夢に溶け込んで、そしてほんの少しだけ夢を分けて貰ってね。ほら、夢ってよく覚えていられないでしょう?きっと、私の仲間がその人の夢を食べているんだよ?」

「…では、この夢も…?」

「ふふ、いただきまーす。」

「……そうか、じゃあこの景色を、僕は忘れてしまうんだね。」

振り返り、その光景を網膜へと焼き付ける。
余すことなく。一つ残らず。
なんと、無駄な行為だろう。


「…大丈夫。夢なんて、君が思っているよりずっと、どうしようもないものだよ。ただ、君の心を写してはいるのかも。…ほら見て。こんなにキレイ。」

彼女の両手が、僕の右手を優しく包む。
暖かくは、なかった。

「……ふ、そうだろう。またこの景色を見たくなったら、おいでよ。」

「あら、夢の中でナンパ?困った人ね。」

「つまみ食いする人に言われたくないな。」

「ふふ、それもそうかも。」

「……それじゃあ。もう行くよ。」

「…ばいばい。」


頭上を眩い光が照らす。シルクのカーテンの様だ。
この淡さに溶けていけたなら、どれだけいいだろう。
私は振り返らなかった。
きっと振り替えれば、彼女は穏やかな微笑を携えて私に手を振るなりするのだろうが、別に構わなかった。
きっと、きっとまた逢える。
この光景は、自分のものなのだから。



「……おしまい。……おや?」

老人は用意したコーヒーが温くなるほどの間語った。
語り終えた老人の膝には、少女が健やかに寝息をたてるのみである。

「……ふふ、少し喋り過ぎたかな。」

少女の柔らかく暖かな頭を撫でる。
そのまま老人は瞳を閉じて、瞼の裏の世界へと旅立った。
世界には、それだけ。
たった、それだけ。










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「なーぎさっ!!」

「おわ、あ、おつかれつばさ。ちょっと待って、日直なんだ。」

長い長い一週間が終った。
学生歴はもう十年以上になるから、プロ野球選手でいったら中堅どころかベテランだな私。
そんなアホなこと考えて帰り支度をしていたら、幼馴染みの彼女が私に飛び付いてきたというわけだ。

「んもー、変なとこ真面目なんだから。そんなものシュバババッとやっときゃいいのに。」

「うちの担任はあんたんとこと違って厳しいの。」

時代遅れのブラックボードをイレイサーで丁寧に撫でていく。
チョークの粉が板上に残らないように。
右へ、左へ。
右へ、左へ。
ふふ、ちょっと楽しい。

「おぅつばさ。明日何時にする?」

「あ!しゅんくんだ!!わーい!!」

教室の入り口から声が聞こえた。
つばさはその声に反応して駆け寄っていく。
しゅんくんことたちかわとつばさは、つい先月、恋仲になったのだそうだ。

「つばさ、私はいいから二人で帰ったら。もうちょいかかるし。」

「えー、でも……」

「流石空気が読めるなひろせ。じゃあ帰ろーぜつばさ。」

「おわわ!ちょ、ちょっとー!!」

「またねー。」

うん、仲睦まじきは善哉、善哉。
さて、私もさっさと済ませて帰ろう。

何気なく、教室を見渡す。
この空間も、今日受けた授業も、苦楽を共に過ごしたクラスメイト達も、いつかは思い出になってゆくのだろうか。
いかんいかん、そういう無駄なことは考えてちゃ損だ、損。

もうすぐ高校に入ってから二回目の夏が来る。
日を追う毎に着実に長くなっていく夕暮れが、私にそれを告げた。
だからって、何がどうなるわけでもないが。
でも、つばさに彼氏が出来たから、今年はきっと寝正月ならぬ寝お盆だ。

雲に差す茜色の光線が、街の輪郭を虚ろにしている。
なんとも言えないこの胸のモヤモヤを払拭する為に、制服のポケットからイヤホンを取り出す。
ランダム再生された曲は、どれも愛を歌ってばかりいた。
実際そんなものよくわかっていやしないのに、その曲が心に沁みるのは、そう言った感情への羨望だろうか。

…ただ、そうか。
つばさしかまともに話せる友達、私いないんだ。




刻一刻と青春を謳歌する私達に許された時間なんてものは、実は結構ない。
大人よりほんの数時間だけ帰宅する時間が早いのと、仕事に取り組む姿勢が自由であることくらいだ。
クラスメイト達の様に騒いで歌えれば文字通り謳歌出来そうなものだが、残念。生憎私は音痴なのだ。

「ねーねーなぎさ!夏休みは予定ないよね!?ね!?」

「…いやないけど。何その当たり前でしょ的な。」

「まーまーすねないすねない!!じゃあ今年は山行こーぜ山!」

「え、何。それはキャンプ的な話?」

「うん!なんか家の方の町内会で企画してるらしいんだけど、じじばばくらいしかいないから寂しいんだって!」

「いいの?私町内会の人じゃないけど。」

「聞いたらオッケーもらったもーん。」

「…ふーん。なら、行こっか。」

「おっし!!決まりね!!」

リンゴンと始業の鐘が鳴る。
つばさは隣のクラスだ、話に夢中になっていたようで、慌てて駆けていく。

「ヤバイヤバイ!!じゃねなぎさ!放課後ねー!!」

「へーい。」


なんて怠惰な毎日だろう。
此処でこうしているだけで時間は流れ、川はせせらぎ、鳥達は歌い、私は只管板書を続ける。
いや、なんか語呂悪い。私は黒鉛を滑らせる…ふふ、こっちのが美しいね。
日がな1日そんなことを考えているだけでいいのだ。
平和であることに感謝感謝。
そんな怠惰な時間、当然の様に襲う睡魔。
微睡みの中へ溶けてしまえば、貴方と…私の…境目……な…ん……て………。
ぐー。


気が付けば、季節は廻る。


青い空、白い雲。
うんざりするほどの暑さ。じとっと身体を包む湿気。
私は夏が嫌いだ。
いや冬も嫌いだけど。

「よっしゃー!!夏だー!!」

「凄いはしゃぎ様ね。若いっていーわー…」

「何言ってんの、そんなんじゃあっという間におばさんだよなぎさ!」

「ハイハイどうせ私ゃおばさんですよー。」

いつになくハイテンションなつばさに振り回されつつも、町内会のおじさまおばさまは私の作ったカレーをえらく気に入ってくれた。
やはりまず掴むなら胃袋だな。

「やっぱりなぎさは凄いなー、みんなほめてたよー、アタシとは違って真面目でしっかりしてるってさ。ちぇー!」

「あんなおじさんおばさんに気に入られたって別に何の得にもなんないよ。それに私には彼氏も、友達もいないしね。」

「え!?い、いやー、アタシだってそんな友達いないよもーぅ!!ほらほら、川の中気持ちいーよー!!」

「…うん。」

おや?
昔からわかりやすい奴ではあったが、これは。
仕方がないので付き合ってやることにする。
水、冷たい。足、痛い。ヌメヌメする。キモい。

「水、冷たい。足、痛い。ヌメヌメする。キモい。」

「なんでカタコト?」

「…いかん、つい心の声が」

「はは、やっぱりなぎさは面白いな。」

水面を反射する光が眩しい。
私が思うに、せせらぎというものを川が流れる音だけに定義してしまうのは勿体無いと思うのだ。この鮮やかに虹色を反射する現象もこの言葉に含めればより立体的な意味合いを持つのではないか。なんて。

「二人用テント持ってきた!お泊まりとか久しぶりだー!」

「確かに。お邪魔しゃーす」

「あー、あたしもー!!」

簡易テントをはり、胸を張る。
つばさを横目にいそいそとテントの中へ。
ふふ、ちょっとドキドキする。

「なんかドキドキするね。」

「ヤバイ、同じこと考えてた」

「いぇーい。」

「なんかこういうの久々な気がする。」

「えー、そうかなー?」

「ってか、最近学校でしか会って無かった気がする。」

「そうだったっけ?」

「うん。ほら、たちかわとあんた付き合い出したから。」

「あー…そうかも。」

「いやいや…テンション落ちるところじゃないでしょ。」

「だって……」

「別に私は今までずっと一人でも平気だったし、つばさがそれで幸せなら私も嬉しいしね。大体今までだってあんたが私のとこ来なけりゃずっと一人だったよ。だからそれを気に病む必要……」

「フラれたの。」

「……は?」

随分間抜けな声が出た。
てっきり私は、私を気遣ってそう言っていたのだと思ったが、これは予想斜め上の言葉が返ってきた。
私の言葉を遮ったつばさに目をやると、瞳には大粒の涙。

「あー……えーっと?」

「合わないんだって……アタシと……」

言葉を探す。
一体何を言えば、彼女は泣き止むのだろうか。
愚かにも孤独を選択し続けてきた私には、こんなシチュエーションが想定出来る筈もなく、あろうことか沈黙を選択してしまう。
テントの中には、つばさの嗚咽と川のせせらぎ、よくわからない鳥の鳴き声。



気が付くと、身体が勝手に動いていた。
つばさを両腕で抱き、頭を撫でてやる。

「…え?」

「…いいじゃん、とりあえずここにたちかわはいなくて、私がいる。あんたの傍には、私がいるよ。」

「……うん……ありがと……」

この暑い中身を寄せ合うのもどうかと思ったが、子どもをあやすときはきっとこうするだろう。
数少ない経験に則って、彼女の嗚咽が聞こえなくなるまでそうしていた。

…少し、困ったことになった。
この距離になって気が付いたが、この子、めっちゃいい匂いする。艶のあるショートヘア。髪の毛撫でるのが、気持ちいい。なに、この、感触。手触り。あったかい。いつまでも、こうしていられる。こうしていたい。
無表情を装った内心は下心満載の男の子みたいだった。
歳を重ねる毎に人との距離感は遠くなっていくから、それも仕方がないのだとは思うが、まさか同級生にこんな感情を抱くとは思わなかった。

「……もう、なぎさ。いつまでやってんの?」

「へぁっ!?ご、ごめん!」

今日一番の奇声をあげてしまった。
彼女を見る。目が合う。
今まで見せたことのない柔らかい微笑み。包み込む様な声。
慌ててつばさから距離を取る。
直視、出来なかった。

「……ううん、嬉しい。もっとして?」

「……は?え、いや、ちょ!?」

距離を取った分だけ彼女に詰め寄られ、頭を私の眼前につきだす。
まるで親猫に甘える子猫の様に。

「ほーら、いいでしょ?」

「……はぁ。仕方がないヤツだよあんたは。」

「ふふ、なぎさはやさしーなぁ。」

「…あんたにだけだよ。」

そう言いつつ、病み付きになりそうな行為を続ける。
いつの間にか外はとっぷりと夜を孕んでいた。

一体どれくらいそうしていたろうか。
不意に、つばさが呟く。

「…なぎさが彼氏だったらよかったのに」

「…は?」

思わず手が止まる。
身体は、動かなかった。

「優しいし、頼りになるし、一緒にいて楽しいし、アタシの事何でも解ってくれるし、暖かいし良い匂いするし。あと…」

「いやいやいや……は?」

「あと……あ、手が綺麗!!爪とかピッカピカ!!」

「……は?」

「さっきからそればっかり。可愛いんだからもぅ。」

また、笑う。
思考が追い付かない。
さっきから何を言っているのだ、このどあほうは。
掴まれた右手が熱を帯びる。
脈の音が聞こえる。
果たしてどちらのものだろうか。
わからない。
わからない、何も。

やがて、さまよった視線が交わる。
何だ。何で、そんなに潤んだ瞳をしている。
何故、頬が紅潮している。
何故、そんなに熱い息を吐く。唇が熟れている。
何故、
何故、
何故。
まるで操られたかの様に二人の距離は縮んでいく。
三。
二。
一。
もう少しで、零にーーー。


「つばさちゃーん!!なぎさちゃーん!!」

「「あだっ!?」」

テントの外から、おばさんの声。
二人同時に驚き、おでこをぶつける。

「ったー……」

「……ぷ、あはははは!!」

「ふ、何笑ってんのよ。ほら、おばさん呼んでる。」

「だってっ……!!くっ、あはははは!!」

「もぅ……はーい!!」

テントの外に出ると、空はネイビーブルー。
一番星が一際輝いていた。

「あら、なぎさちゃん。もう寝ちゃってたかと思ってた。」

「いえ、二人でお話してました。何かご用でしょうか?」

「あ、そうそう。明日は朝8時に起きて軽く朝食を食べて片付けして移動だから、お願いね。」

「……はい。お休みなさい。」

「はい、おやすみ。」

何をお願いされたのだろうか。
まぁいい。今はそんなこと。
おばさんを見送る。
砂利を踏む足音が消えると、入れ替わるように夜鳥の声、川が石を打つ音、草木が風に揺られる音。様々な音が聞こえてきた。

……テントの中よりは、いくらか涼しい。
……先程のあれは、一体何だったのだろうか。


……そうだ、初夏の暑さに、少し意識が朦朧としていただけだ。どうかしていた。
外の風を吸って冷静になろう。

深呼吸。
すー、はー。すー、はー。
よし。

意を決しテントへ戻る。

「すー。…すー。」

泣き付かれたのか、つばさは眠っていた。
本当に、呆れてしまう程自由な奴だ。

「……おやすみ。」

用意してもらった寝袋に入る。
返事はなかった。




「もーにんもーにーーーん!!!なぎさー!!おきろー!!」

「…んぁ?」

「寝ぼけてる奴は……こうだ!!こちょこちょー!!」

「ひは、ひひひ……!!ちょちょちょいギブギブギブ!!…だぁ!……はぁ……」

「おはよ、なぎさ。」

「…おはようつばさ。…今何時?」

「んとね、7時30分。」

パーフェクトな時間だ。
流石私。起こされたけど。

「なーんかめっちゃ寝たー!!」

「あぁ、それでそんな朝から煩いのね。」

「まーね、ふふん、それもある。」

「はいはいよかったね。顔洗ったらテント片すよ。」

「ほいほーい。」

未だ朧気な思考を覚ます為に川の水を掬う。
顔に打ち付ける。冷たい。
今はそれが心地良い。

…一先ず、元気になった様でよかったよかった。
危うく色々間違うところだったが。
………いやいやいやいやいや。
………ないないないないない。
…………。

ない……よね?



「……あのさ。」

「んー?」

「昨日のあれって………ジョークだよ……ね?」

バカー私ー!!
どうして聞いたー!!
言ってから我に返り、弾けるようにつばさを見る。
彼女は不敵に笑い、いや、もうめちゃくちゃにやついていやがる。

「さぁ……どうでしょう??」

「くっ、この…」

「ふふ、ほらほら片付けしよ!」

「はいはい……」


まだまだ夏は、始まったばかりである。

風速1m/sで人間の体感温度は摂氏1度下がるのだそうだ。
もしもそれが真実ならば、一体今、俺達は氷点下何度の世界にいるのだろう。

「なぁ!!寒くはないか!!」

「えぇえ!?なんかいったぁーっ!?」

「だからぁーー!!!!寒くないかって!!!!」

「うーん!!へいきー!!きもちいーよー!!」

時速80km。俺達を乗せた大型二輪は、地平線の向こうの、そのまた向こうを目指して唯ひたすらに風を切る。
ガチガチと音を鳴らしてしまいそうなところを、どうにか噛み潰す。
子供の前ではカッコつけていたいのが大人と言うものである。

震え上がるほどに冷たい世界の中で、背中から感じる温もりだけが、俺に存在意義を与えていた。無論、当の本人は無自覚だろうが。


話は、数時間前に遡る。

「ねねね、おじさんおじさん!!」

「お前おじさんはないだろう」

「そーんなテンプレ聞き飽きたってー。私がおじさんをおじさんと認識したその瞬間から、もうおじさんはおじさんなの。」

こいつは俺の姉貴の娘。今年で16歳になるそうだ。姉貴一家は実家に住んで足の悪い母さんの面倒を見てくれたり、親父の愚痴を聞いてくれたりしていた。俺も、実家暮らしが長かったからこいつのことはよく覚えてる。いや、覚えていて当然だ。

あろうことか俺は、この娘に恋してしまっていた。

「あーあーわかったわかった。で、何の用だ?」

そう言いつつコーンスープを出す。
漸く冬は抜けたがまだまだ寒い日が続くだろう。
少女は図々しく、どもー、っとスープを啜る。
コーンスープが好きなのも把握済みだ。
それだけ長い間過ごしてきたのだ。

「おじさんバイク乗るんでしょ?私も今年遂に免許がとれるのでー、そのーなに?バイク、貸して?」

「帰れ」

「えーいいじゃんいいじゃん!ほら、私有地なら乗っても平気みたいだし」

「だめだ。傷でもつけられたら大変だ。それに、免許がとれるのは原付で、俺のは大型だ」

「いやいやいやいやいや…。こんな年端もいかないいたいけな美少女のお願いを無下にする気?おじさんはそんなに心の狭い人間だったわけだ?」

「ほう、お前にしては面白い冗談だ。で、何処に美少女がいるって?」

「もー、ケチ!!」

「ケチで結構だ。お前、そんなことの為にわざわざ来たのか?」

この家までは実家からローカル線で5駅ほどある。
電車やバスでも不便な片田舎だ。
実際、少し外れにいけば見渡す限り広がる田畑以外何もない。

内心喜んでしまっている自分に腹が立つ。
共に暮らして、これ以上の劣情が自分を満たしてしまう前にと、俺は家を出たと言うのに、どういうわけか日に日にこの醜い感情は肥大していく。
それをどうにかこうにか噛み殺していると言うのに、何も知らないこの少女は、あろうことかづけづけと家に上がり込み、だらだらとソファに寝転がる。
随分女らしくなったものだ、気が付けば上から下までを何度も見ては、いかんいかんと首を振り、苦いコーヒーを流し込む。味はよくわからなかった。

「むー、なにさなにさ!折角私が会いに来てあげてるって言うのに!!」

「…別に、頼んじゃいないさ」

「またそういうこと言う!!もう知らないんだかんね!」

沈黙。
ソファのクッションに顔を埋めて、少女は動かなくなった。
苦しい。
何故、何故こんなにも苦しいのだ。
何故、こんなにも愛しいのか。
随分面倒なことになったものだ。

「おい」

「……」

「……はぁ、仕方ない。」

「乗っていいの!?」

このやろう。調子に乗りやがって。
そうしていれば俺が折れることを知っていてやっているのだ。
それがわかっていても、どうしようもない俺も俺だが。

「……後ろならな。運転は俺だ。」

「えー?まぁ、いっか。ありがとおじさんー!!」

「引っ付くなっての。これ着とけ。」

上着を渡す。漸く暖かくなってきたとはいえ、バイクに乗るなら厚着した方がいい。

「お、もっふもふだ。あったかーい。」

渡した上着を身に纏い、首回りについている何らかの生物の毛に頬を擦り付けて柔らかい声を出す。
そんな仕草を見てついつい緩む顔の筋肉をこれでもかと強張らせ、家を出る。




以上が、事の顛末である。
そうして俺はエンジンを吹かし走り続けていたのだった。

「おじさーん!!」

「あぁー!?」

どうせ周囲には人っ子一人いないのだ。
それならばと年不相応に叫べば、喉も枯れる。
帰ったら蜂蜜入りの飴でも買うか。
そんなことをぼんやり考えた。

「いつも、ありがとねー!!」

「姉貴に、めーわく、かけんなよ!!」

「わかってるー!!」

何か叫ぶ度、腰にまわされた手に力がこもる。
弛んだ腹がばれやしないかヒヤヒヤする。
馬鹿にされる前に、鍛えるか。

「そろそろ折り返すぞ!!」

「えぇー!!?もっと行こうよー!!」

「ったく、しょうがねぇクソガキだなホントによ!!」 

「よっしゃー!!おじさん、だいすきー!!」


これでもかと握り込むアクセル。
信号も少ないこの道はウェスタン映画の様だ。
生憎と、映画の主役には不相応のあべこべな二人ではあるが。
陽が暮れる前には、ちゃんと家に返そう。


ーーー人の気も知らないで、このガキ。


まぁいい。先の事など。
後で幾らでも後悔してやるし、反省もしてやる。
なんなら一緒に、姉貴に頭を下げに行こう。
だから。
だから、今だけ。



-horizon tale-


(願わくば、このまま二人、どこまでも。)



「ねぇ・・・まだ?」

本日何度目かの、あたしの言葉。
明らかな不服の色を混ぜて。

「んー・・・もうちょっと!」

そしてこちらも、本日何度目かの彼の台詞。

うへー、まじ?
そう零し、震えが止まらない体を抱き抱えた。
くわえた煙草は、ここに来てからもうすぐ2箱目がなくなる。
煙は夜空に吸い込まれ流れていく。

すっと、隣にいる彼の顔を覗き見る。
数時間前の彼の顔には希望が溢れていたが、現在その顔は不安げに曇っていた。

次に、腕の時計を見る。もうすぐ深夜1時を迎える所だ。

「ねぇ・・・まだ?」

「んー・・・・・・もうちょっと」


ーーー。


「よし!星を見に行こう!!」

彼がそう言い出したのが、午前10時。あたしは、あんまり乗り気じゃなかったから、なんで?っと聞き返す。

「だって、ユイ都会っ子だろ?夜空に輝く満天の星を見てみたいって思わない?」

「思わねっす」

「ひどい、このひとでなし!お前には心というものがないのか!」

そんなこと、言われましても。
口には出さず溜め息を零して、あたしは煙草を取り出した。
彼は眼前で沈んだ顔をしている。

「・・・タカヒコ。何処まで行くの?それ」

彼の名を呼んで、そう聞いた。

「え?あ、ああ大丈夫。隣の県までぶっ飛ばして山登れば直ぐだから。」

急にテンションを上げだして、彼は地図を取り出した。

「ふーん・・・車で5時間ってこと?で、それは誰が運転するんですかね?」

ぐっ、という声を出して、それからなんだか今にも泣き出しそうな顔を上げて、彼は呟いた。

「ユイは、めんどくさい?」

そんな顔するなよ。あたしが悪いみたいじゃん。
煙草の火をもみ消して、口にする。

「・・・準備するか、それじゃ。何時出発?」

「・・・ありがとうユイ!んーそうだなぁ、8時くらい?いや、9時くらいに着きたいから…4時頃出発にしよう。夜遅いほうが綺麗だし。」

ほんっと、調子いい奴だ。
そんな彼の我が儘を聞いてあげてるあたしも、どうかしてるなホント。


結局家を出たのが、午後3時過ぎ。
道路の混雑を予想して、少し早く家を出た。
季節柄、寒くなるそうなのでコートを車に積んで、車に乗り込む。

勿論、運転手はあたし。

「こっから高速乗って、後はずーっと走り続ける感じみたいだよ。疲れたらパーキング行っていいからね?無理すんなよ?」

「わーかってますよ。あ、高速の料金は?」

「・・・ご、後日で。」

「・・・了解。」

そしてあたしは、イライラを足に込めてエンジンを吹かす。
直ぐに時速は120キロを超えた。

「次ちょっと休憩するよー・・・タカヒコ?」

ちらっと左を盗み見る。
アホヅラ満開で眠る彼に、一瞬殺意が芽生えた。

ねるかふつー?

物凄い速度で景色は流れていく。
残念ながらあたしにはそれを見る時間はなかった。
どんなにそれが絵画になるような素晴らしい風景であっても、一々それに感動はしていられない。
よそ見ばかりしていたら、なにも得られないからだ。

高速道路は、人生のようだ。
目を逸らしていては事故を起こしてしまうから、すっと正面を見据えて、自分が行きたい場所へ辿り着いた時に、降りればいい。
私は未だ、高速道路を走り続けている。

いつからだろう、そんな事を考えるようになったのは。
歳を取るのに比例して、くだらないと目を背けて。
そんなものより、煙草の値段は安くならないだろうか、とか考えている。
あたしがこの出来の悪い彼に惹かれたのは、自分に持ってない様々なものを持っているからだと思う。
彼と一緒にいると溜め息ばかりが零れるが、同時に笑う事も多くなった。

それを幸せだと認めるのは、なんだか悔しいので彼には言わない。

自動販売機でコーヒーを買う。
一応、二人分。
平日というのもあって高速は空いていて、パーキングエリアには車が数台止まっているだけだった。

ガチャ、とドアの開閉音が聞こえる。振り返れば、申し訳なさそうに近寄ってくる彼。

「ゴメン、ユイ。寝ちゃってた。」

あたしは彼に向かって缶コーヒーを投げる。ふわりと中を舞って、それは彼の手の中へ。

「・・・夜更かしするんだから、今のうち眠っときなさい。あたしなら、大丈夫だから。」

「ーーー優しいなぁ。ユイは。」

嬉しそうに微笑んで、彼はあたしにそんなことを言う。
本当に、無邪気な奴だ。そんな顔でそんな事言われたら何も言えないじゃないか。

「はは、あんたにだけだよ。」

照れ隠しに笑ってみる。
随分わざとらしくなってしまった。


ーーー。

「到着!!」


「やっとついた・・・」

目的地に到着したのが、午後8時30分。飛ばした甲斐もありちょうどいい時間に着いた。が。

「・・・空、曇ってるね。」

確かに、見晴らしのいい場所だった。
どこで調べたのか中々いいスポットであるのは伺える。
が、しかし。
見上げた空は曇天で星を垣間見る事は叶わなかった。
あたしはそっと呟いてコートを羽織る。

「あれ?おかしいな、天気予報晴れだったのに。」

彼もコートを羽織り、ケータイを開いて天気予報を確認している。

・・・もしかして。
嫌な予感がして、彼のケータイを覗き見る。案の定というか、もう、どうして。

「・・・ここ、隣の県だって言ってなかった?」

驚愕の顔のまま、彼の顔は固まった。
あたしは既に何度吐いたか分からない溜め息を零した。

「・・・あっ、時間割で見たら、10時には晴れるみたいだよ。そ、それに山の天気は変わりやすいから。もう少し、待ってみよう?」

気を取り直して、なっ、と彼は再び持ち前のポジティブ思考で晴れやかな顔をする。

「・・・ここまで着たら、付き合いますよ。」

あたしはそう言って煙草に火を着けた。


そして、現在ーーー。


「さ、寒くなってきたしさぁ、ほん、ほんと、もう帰ろう?ね?」

「・・・」

耐え切れず彼に懇願する。
時刻は間もなく深夜2時。
限界だ。
しかし、それは彼も同じだったらしかった。

「タカヒコ?」

「………。」

彼は必死に堪えていたが、両目からは大粒の涙が溢れていた。
彼はそれでも空を見上げている。

「・・・こ、こらこらっ女の子の前で泣かない。男でしょ。」

あたしは焦った。もういったいなにがなにやら。
それでも空は曇天のまま。
彼は小さく呟いた。

「だってよぉ・・・見せたかったんだよ。最近ユイ仕事かなり辛そうだったし、でもなんもしてあげらんなかったしさぁ、情けなくて・・・でも、ダメだった。迷惑かけてばっかりで。なんで俺、こんなにだめなんだろう?結構必死なんだけどな・・・頭悪いからかな・・・ごめんな、ほんと、ごめん・・・」


それきり、なにも言わなくなった。


あぁ、彼には伝わっていないのか。
あたしがどれ程満たされているか。

こんなにも、あたしを思ってくれている人がいて。
こんなにも、悩んでくれている人がいて。

それ以上の喜びが、一体どこにあるというのだろう。

彼にゆっくり近づいて、唇で頬に触れる。
え、と呆けた顔をして、彼はあたしを見た。

「・・・別にさ、無理しなくていいんだよ。気を使ってくれたのは凄く嬉しい。今日の気まぐれが、本当はあたしを思っての事だった事も。でも、そんなことしなくてもあたしは十分助けられてる。一緒にいてくれて、馬鹿やって。あんたが出来ない奴だってことは十分理解してるし、その上で一緒にいるんだ。迷惑だなんて思うはずないでしょ。」

そこまで話して、彼をそっと抱きしめる。
これで、伝わってるだろうか。

「でも・・・やっぱりなんかしてあげたいんだ。遊び行ったりとか、旅行行ったりとかさ。でも、そんなの俺じゃ絶対上手くいかないと思ったんだ。だから、星を見に行くくらいならって。」

彼の体は震えていた。優しく撫でながら、あたしは彼にねだる。

「・・・そんなのいいからさ。」

「え?」

少しだけ間をあけて、ちゃんと届くように。

「そんなのいいから。好きって言って?」


それから、暫くそのままで。
彼は、とても暖かった。


ーーー。


「へくしょい!ーーーあー、くそー・・・」


次の日午前11時。
咳とくしゃみが止まらない彼の顔は赤く、熱を計ると38度5分だった。二人掛けのソファで横になりだるそうにしている。
あたしは休みを貰って彼の世話をすることにした。

「そりゃあね、あんな時間まで外にいれば風邪も引くって。」

「じゃあなんでユイはへーきなんだよ・・・あたっ。」

頭に熱を下げるシートを勢いよく貼ってあげる。

「それは・・・なんでだろ?はいお粥。」

「ありがとう・・・」

彼はゆっくりと起き上がり、ご飯を食べ始めた。
それと同時に、あたしは煙草に火を着ける。


「ごちそーさま。あーだりぃ・・・」

「はいはい、ソファなんかで寝てないで、布団に入る。今日はもうあったかくして眠ってなさい。大人しく。」

「はーい。」

返事をして、彼はもそもそ布団まで這っていく。

彼が食べた食器を洗っていると、彼があたしの名前を呼んだ。

「ユイー」

「なに、どうしたの?」

「好きだよ。」

「・・・あのね、そりゃ確かにそう言ったけど」

嬉しそうに笑う彼を見て、なんだかもうどうでもよくなって。

「・・・仕方ない。嬉しいからサービスで添い寝でもしてあげようじゃない。」

「やったぜ、いぇーい・・・」

こんな生活に溺れるのもまぁ、悪くない。
そんな風に考える自分がいるのだった。

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